第一篇:新大學(xué)日語(yǔ)二。1-5
リーデ?ング 1
電子メデ??は道具である
読みながら
1.筆者が「電子メデ??は道具である」と言っている意味を深く考えてみましょう。
2.「道具」「能率」「必要」という三つの言葉の意味をよく吟味して正しく捉えましよう。
樺島 忠夫
?ンターネットだとか、Eメールだとかの言葉を、新聞や雑誌で毎日のように目にする。テレビを見(jiàn)ていても、番組の終わりあたりで、「WWWなんとか」を見(jiàn)ろ、などというメッセージが出る。いわゆる電子メデ??の利用である。これに対して、人は様々な反応を見(jiàn)せる。
ある人は、自分はそんなものには関係がないと割り切って見(jiàn)向きもしない。ある人は、それを使っていない自分を時(shí)代遅れのように思って、なんとか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でいる。
ある人は、パソコンを買(mǎi)い込み、これらを使う練習(xí)をするが、利用するまでにはいたらずに、せっかく購(gòu)入した機(jī)械は眠ったままになる。
もちろん、これらとは違って、自分の必要に応じて?ンターネットやEメールを駆使するようになる人もいる。
電子メデ??に近づくことをしないでいるか、それを使いこなすようになるかを決める要素には様々なものがあるだろうが、私は、その一番大きな要素は、「利用する必要が発見(jiàn)できるかどうか」だろうと思う。電子メデ??は、はさみやペンチと同じく道具だからである。
私は電子メデ??を、必要に応じて道具として便利に利用してきた。これによって得た利益は絶大である。しかし、私の周?chē)欷蛞?jiàn)渡すと、この「必要」を発見(jiàn)しそこねている人が多いようである。
?ンターネット、Eメールなどの電子メデ??について、自分はそんなものには関係がないと割り切って見(jiàn)向きもしない人、それを使っていない自分を時(shí)代遅れのように思って、何とか使ってみたいが、自分には使えそうにないとあきらめ気分でい
る人、パソコンを買(mǎi)い込み、これらを使う練習(xí)をしても利用するまでにはいたらずに、せっかくの機(jī)械を眠ったままにしている人は。
◎ その人にとっては仕事の能率化が必要であるのに、電子メデ??という道具を 役立
てる必要や方法を発見(jiàn)することができないでいる人?!?能率化することが必要な仕事をまったく持っていない人。のどちらかであるように思う。
電子メデ??という道具を役立てる必要や方法を発見(jiàn)することができないでいる人には、電子メデ??はこういう必要にこたえてくれる便利なものだということを認(rèn)識(shí)することが必要であろう。しかし、電子メデ??の使用に習(xí)熟した人に、「どんな必要に対して、どういうふうに役立つのか」ということを親切に解説してもらわなければ、自分で発見(jiàn)的に認(rèn)識(shí)することは困難になっている。
私自身、Eメールは大いに利用しているが、?ンターネットを役立てる効用については、ほとんど認(rèn)識(shí)していない。毎年、カナダで暮らす日々を持っているが、そのときに日本の新聞を読む程度である。むしろ、?ンターネットであちこち情報(bào)を探しまわり、信頼性が確かでない情報(bào)を興味本位で得るのは時(shí)間の無(wú)駄だという感じを持っている。
?ンターネット
村井 純
?ンターネットと結(jié)ばれているのは、基本的にはコンピュータだと考えられていますが?!弗偿螗豫衰俊工趣い盲皮猡饯涡螒B(tài)はどんどん変わってきました。初期の、非常に使いにくい専門(mén)家用のコンピュータから、現(xiàn)代の、きわめて使いやすい、子供がゲームをするようなコンピュータヘと発展してきたのです。?ンターネットでは、(1)こういったさまざまなコンピュータが全部つながることを考えていて、それが実現(xiàn)すれば人間活動(dòng)のいろいろな分野にわたって、さまざまなことが起こってくるでしょう。
もう一つ大事なことは、?ンターネットは、國(guó)という概念とはまったく獨(dú)立して、國(guó)境を越えて発展してきたという経緯です。コンピュータによって自由に情報(bào)、データを交換できるという基盤(pán)ができあがると、世界中の一人ひとりの人間が、どういうコミュニケーションをもって、どういう活動(dòng)をして、どんな世界をバックにした生活をしているのかということを考えられるようになります。(2)この點(diǎn)からは、今後新しい國(guó)際社會(huì)をどういうふうに形成していくかということを考えるための基盤(pán)としても、期待されていると言うことができるでしょう。
(A)()、?ンターネットによるコミュニケーションは(3)「地球」という空間の概念を大きく変えているともいえます。もちろん、これまでも、航空機(jī)のような交通機(jī)関や國(guó)際電話(huà)などの通信手段が、地球の大きさについての人間の感覚をいちじるしく変えてきましたが、?ンターネットは、いっそう地球を「狹く」感じさせるでしょう。
?フターネットで暮らしはどう変わるか
三上 俊治
近い將來(lái)、パソコンが家庭に普及し、?ンターネットヘの接続が簡(jiǎn)単に実現(xiàn)するようになれば、?ンターネットは私たちの暮らしを大きく変える可能性を秘めている。具體的には、次のような変化が生じるものと予想される。
(1)電子メールやWWWの利用が日?;工毪长趣摔瑜盲?、コミュニケーションの様式が大きく変化するだろう。電子メールを使った非同期的コミュニケーション、ホームページの普及による情報(bào)発信が広がるだろう。
(2)これによって、人間関係のあり方にも大きな変化が生じるだろう。まったく知らない同士での、?ンターネットを媒介とする新たな人間関係が形成される可能性がある。
(3)日常的な情報(bào)源、娯楽源として、テレビ、新聞、雑誌などの既存メデ??と並んで、これらを相互補(bǔ)完するメデ??として、?ンターネットが欠かせない情報(bào)源、娯楽源となる可能性が大きい?!?ンターネットテレビ」の普及は、こうしたメデ??ミックスを促進(jìn)するだろう。
(4)電子決済、セキュリテ?対策が進(jìn)めば、?ンターネットによるショッピング、予約、オンラ?ンバンキングが普及し、消費(fèi)生活に大きな変化が起きるだろう。(6)?ンターネットは、教育?文化的な面でも重要な役割を果たすようになるだろう。大
學(xué)などでの教育用のツールとして不可欠の手段になるだけでなく、社會(huì)人にも、生涯學(xué)習(xí)の手段として広く利用されるようになるだろう。
ただし、以上の変化が生じるためには、?ンターネットが現(xiàn)在抱えている、さまざまな問(wèn)題を解決し、21世紀(jì)の基幹的メデ??にふさわしい情報(bào)環(huán)境を整備することが必要である。具體的には、青尐年にとって有害なコンテンツを含むホームページに対する何らかの規(guī)制、?ンターネット時(shí)代にも適合するような著作権法等の改正、「ネチケット」など?ンターネット利用をめぐる正しい規(guī)範(fàn)や価値観の醸成、などをあげることができる。分相忚と分不相忚
読みながら
1.「分相忚」と「分不相忚」の正しい意味をしっかり捉えましょう。2.自分の生活を振り返って、「分相忚」か「分不相忚」かを考えてみましょう。
川本 三郎
銀座にKという落ち著いたいいバーがある。カウンターがあってバーテンがいて酒がある。それだけのさっぱりしたバーである。
ここのバーテンのNさんはおもしろい人で、客が値段の高い酒を飲むのをあまり好まない。高いスコッチを注文したりすると「安くてもっといいものがあります」と別の酒を勧めたりする。特に若い男が高い酒を飲むのが好きではないらしい。「客の勝手にさせておけばいいじゃない」というと、彼は頑固に「分相忚というものがあるでしょう」といって譲らない。
「分相忚」という言葉も、そう言えば、あまり聞かなくなった。背伸びしたり見(jiàn)栄を張ったり派手に振る舞ったり「分不相忚」のことのほうが目立つ世の中になってしまった。
日本はいまや金持ち國(guó)なのだから「分相忚」に派手に贅沢になるのもいいことなのだといわれると返す言葉もないが、20代の若い男性が一著何十萬(wàn)円もする?ルマーニのスーツを著たりすることが「分相忚」とはどうしても思えない。
余裕とか贅沢には、そこそこの年齢の年輪がいるものだ。若い男が一杯何千円もするスコッチを飲んでいる姿は決して格好いいものではない。私はそれより學(xué)生が大衆(zhòng)酒場(chǎng)で安酒を飲んですっかり酔っ払ってしまい道路で倒れてしまっている姿のほうが、まだしも「分相忚」でかわいいと思う。若いうちはあれでいいのである。逆にいい年をしてあれをやると、みじめになる。
自分の分をわきまえ、それに忚じた生活を楽しむ。「分相忚」は生活の基本だろう。しかし「分相忚」だけでいいのかというと、これも問(wèn)題がある。それではいつまでたっても進(jìn)歩がないことになる?,F(xiàn)狀維持で生活が固定してしまう?!阜窒鄰琛工沃肖摔鈺r(shí)には思い切った「分不相忚」がないと面白くない。昔の人が正月に
思い切りご馳走を食べたり祭りの日に飲んで騒いだりしたのは、そういうバランスをとるための生活の知恵だったのだろう。
知人に、毎年夏休みになるとポルトガルの海辺のホテルに一人で遊びに行く女性がいる。獨(dú)身でふだんは一生懸命はたらいている。「分相忚」に暮らしている。しかし一年に一度だけ彼女なりの「分不相忚」をする。贅沢をする。それがポルトガル行きである。彼女はかばんの中に読みたいと思っていてなかなか読めなかった本を詰め込む。そして海辺のホテルで一人のんびりと本を読む。それが彼女にとって最高の「分不相忚」なのだという。
こういう「分不相忚」なら私もしてみたい。フランスでも?メリカでもなくボルトガルというのもいい。この點(diǎn)では彼女は「分相忚」な選択をしている。ポルトガルの物価は安いのだから?!阜植幌鄰琛工钨m沢のうちにも彼女なりの「分相忚」の美學(xué)が働いているのである。
結(jié)局、「分相忚」にせよ、「分不相忚」にせよ、大事なのは、自分の美學(xué)をきちんと持っていることだろう。人気マンガ「美味しんぼ」の中にいい言葉が出てくる。あるトンカツ屋の主人が若者にいう言葉である?!袱いいW(xué)生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過(guò)ぎもしない貧乏過(guò)ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
欲張りな人間としては他に天ぷらとウナギもつけ加えたいのだが。
「若者文化」の落とし穴
たとえば価値観が一変した、というのなら、むかしのそれはどうだったかが、まず明らかにされねばならない。なぜそんな価値が生まれたか、その経緯もつきとめられねばなるまい。いまはむかしとは違う、という主張がなされるのは、そのあとでなくてはならない。
(A)()、ともするとこの前提が、いとも簡(jiǎn)単に無(wú)視されてしまう。(a)()のことなどははじめから知ろうともされず、古いものはまるでスクラップのように十把一絡(luò)げにして否定されがちだ。
人間はいままで、先人の殘した文蕓、思想、生活倫理などを踏まえ、それをたたき臺(tái)として、より(b)()を生み出してきた。前代を超克するという意味では、11
いついかなる時(shí)代にも世代の斷絶はあった、といえる。だが、その斷絶とはあくまで、(C)()をふまえた上での異議申し立てであった。
(B)()、ここへきて様子はいささか違ってきた?,F(xiàn)代の(X)()とは、過(guò)去の文化を継承することを拒否する、という意味までをふくんでいるようだ。(d)()を表現(xiàn)することに全精力が注がれ、過(guò)去何千年の歴史の中で、人間がなにを考え、どう生きてきたかをふり返る、といった作業(yè)はあっさりと敬遠(yuǎn)される。驚くほどに古典を知らぬ若者が尐なくないのも、この風(fēng)潮のあらわれと思えてならない。わずか2、3世紀(jì)前の文蕓にさえ、敵意にも似た?レルギーを持つものがまれではない。なにが書(shū)かれているのか、はじめからのぞいてみようともしない。週刊マンガ誌をかかえることより、ポケットに(1)文庫(kù)本を入れることに強(qiáng)い抵抗感があるようだ。
(C)()、過(guò)去の人類(lèi)が積み重ねてきた知恵と絶縁し、ゼロから出発しようという世代が出現(xiàn)しつつある、ということにもなろう。そこで、ただひとつ確実に信じられるのは、同じ世代だけに通じるフ?ーリングなのであろうか。だが、そのなかからいったい、なにが生み出されるだろうか。世代間どころか、同じ世代相互のあいだにも、斷絶と孤獨(dú)をもたらすおそれはないだろうか。それは、「若者文化」はついに虛像でしかない、という問(wèn)題なのである。
「自已実現(xiàn)」を長(zhǎng)い目で者えよう
石川 陽(yáng)治
景気の後退局面でも、人手不足は続いている。これは、働く者、とくに若い人たちの側(cè)から見(jiàn)れば、従來(lái)よりも労働條件が有利になることを意味している。労働時(shí)間は短くなる方向にあり、新入社員向け獨(dú)身寮の建設(shè)競(jìng)爭(zhēng)も盛んになった。入社後の配屬などでは、できるだけ本人の希望を尊重し、人事制度の面でも、「社內(nèi)公募制」を?qū)毪工毪胜?、新しい仕事にチャレンジする機(jī)會(huì)を用意する企業(yè)が増 13
えた。これらの試みに共通するのは、若い優(yōu)秀な人材に定著してもらいたい、という企業(yè)側(cè)の願(yuàn)いである。
しかしこ新入杜員の定著率はこのところ悪くなってきた。これは「転職は當(dāng)たり前」の風(fēng)潮が広まっていることにもよるが、若者が自已実現(xiàn)を急ぎ過(guò)ぎていることにも一因があるのではないか。
景気の後退で、中途採(cǎi)用も「量より質(zhì)」の傾向を強(qiáng)め、転職の環(huán)境にも変化の兆しが兄える。どんな職業(yè)に就いても、思いどおりの仕事ができなかったり、厳しい局面に立たされたりする時(shí)はあるものだ。安易に転職する前に、ひとまず踏みとどまり、自已実現(xiàn)を長(zhǎng)い目で考えることも必要だろう。困難を乗り越えるときに本當(dāng)の仕事の喜びを感じることは、今も昔も変わらないはずだ。ことわざの誤解
読みながら
1.若者が「ことわざ」の持つ意味を誤解する原因を考えてみましょう。2.「ことわざ」が持つ誤解の危険性を理解しましょう。
柴田しばた
武ぶ
(1)情けは人のためならず
このことわざの正しい意味は次の abc のどれでしょうか。
a.情けをかけるとその人のためにならない。情けをかけることに注意。b.人に情けをかけると、結(jié)局は自分にいいことがある。人には情けをかけるものだ。
c.人間をかわいがっても、なんにもならない。犬や貓をかわいがったほうがましだ。
d.どういう意味かわからない。e.聞いたことがない。
このうちbを答えれば熟年者、aを答えれば20歳?1O歳代のヤングと推測(cè)してほぼまちがいないほど、はっきり二つのグループに分かれている。機(jī)會(huì)があって、靜岡市のS女子高の1年?2年?3年と卒業(yè)生(25歳まで)、計(jì)115名に上のような選択肢を持つ問(wèn)いを與えて、その答えを集めてみると、このことがよくうかがえる。このように、25歳以下の若い女性たちは圧倒的にaである。aは「情けをかけるな」、bは「情けをかけよ」の意味で、ちょうど正反対のことを言っている。いうまでもなくbが昔からのいわゆる「正しい」意味、それが最近誤解されて、aの意味にとられるようになった。ことわざ(1)は誤解例としてよく話(huà)題にのぼる代表的なものである。もともとこれは、1969年1月3日のNHKテレビの番組で若い出演者の誤解が明るみに出たことに始まる(見(jiàn)坊豪紀(jì)『ことば さまざまな出會(huì)い』)、三省堂、1983、205頁(yè))。それからすでに15年たつが、その間に、もう誤解というよ
り年齢差と見(jiàn)なくてはならないほどになった。『三省堂國(guó)語(yǔ)辭典』第3版(1982)の「情け」の項(xiàng)目にこのことわざが出ていて、第一の意味がbで、そして、「誤って」という斷り書(shū)きをつけて、aを第二の意味としてあげているほどである。今後「誤って」の注記がはずされるのに10年とはかからないであろう。(2)かわいい子には旅をさせよ
このことわざができたころ、旅は「憂(yōu)いもの辛いもの」だった。現(xiàn)代は、子 供のほうから「ママ!かわい子には旅をさせよ、というじゃない」と旅費(fèi)をせびる時(shí)代である。誤解は「旅」の內(nèi)容??メージが変わったことによる。
(3)馬子にも衣裝
「馬子」という職業(yè)も身分もなくなったので、これを「孫にも衣裝」と誤解す るものが多くなった。(4)住めば都
「どうせ住むなら都會(huì)のほうがいい」が現(xiàn)代の解釈である。
言語(yǔ)は時(shí)代が移るに従って変わるものだから、言語(yǔ)作品であることわざも時(shí)代によって変わるのは避けられない。ただ、一つの単語(yǔ)の変化であれば、意味がひどく変わるにしても、初めは少しずれが生じる程度のものである。それが、ことわざは初めからその意味が正反対のものに移ることが多い。これは、ことわざが文脈なしのごく短い言葉でできているからである。ことわざは初めからあいまい性を含んでいて、こういう誤解の危険に絶えずさらされているようなものである。
またことわざ(1)(4)に起こった誤解は、言棄の表現(xiàn)を表層でしか解釈しないことから來(lái)ている。ことわざ(2)(3)は、ことわざの中の一語(yǔ)が古くなったために起こった意味の変化である。これらの解釈が現(xiàn)代の風(fēng)潮をよく表しているところから、文化論としても問(wèn)題とされるであろう。しかし、その前に注意すべきことは、ことわざが目指す人生論的指針というものは、もともと裏と表とがあって、どちらも真理であるということである。
ら抜き言葉
「見(jiàn)られる」を「見(jiàn)れる」という?!甘长伽椁欷胜ぁ工稀甘长伽欷胜ぁ?。同じように「出れる」や「起きれない」。いわゆる「ら抜き言葉」というやつだ。総理府の「國(guó)語(yǔ)に関する世論調(diào)査」によると、この言い方が「気にならない」人が57.9%眺もいる。「気になる」人は、40.1%と務(wù)勢(shì)である?!笟荬摔胜椁胜ぁ谷摔?0代で74.6%。4人に3人という高率だ。地域的にも偏りがある。関東地方では「気にならない」は半數(shù)以下。北海道や北陸地方では70%を超える。
筆者などは、気になるどころか、こういう表現(xiàn)に接すると(I)気分が悪くてぞくぞくする。(A)()、だからといって目くじらを立てても仕方がない。言葉はこれまでも、これからも時(shí)とともに変わる。好みに関しては、常に、人は人、自分は自分である。
(B)()、どうしてこういう言い方が多くなったか?!袱椤工蚴·?焖?、短縮が時(shí)代の気分とでもいうのだろうか。本來(lái)「れる」「られる」には、(a)()などの意味がある。
例えば「人に見(jiàn)られる」は受け身を表し、「彼女は信じられる」は可能を、「気配が感じられる」は自然にそうなるという意味の自発を、そして「先生が帰って來(lái)られる」は尊敬を表す、という具合だ。
ところが、それらの様々な意味を持つ「見(jiàn)られる」と違って「見(jiàn)れる」は(b)()の意味を示す時(shí)だけにつかれる、「乗れる」や「帰れる」と同様に、「くれ」は(c)()と決めればいっそうすっきりする、と考える人もいる。積極的にそう考えた上で人々が「ら」を抜いているのでもあるまい。だが、単純に(d)()の意だけを伝えるという結(jié)果になれば、それはそれで目的にかなうのかも知れない。(C)()、何となく自然発生的、お天気まかせ的な自発の要素をも含む「られる」の重層的な含意は、失われてしまいそうに思える。
力タカナの魅力
多田ただ
道太郎みちたろう
やがてこの漢字というものは消化されて、日本民族の流れの中にぐるだろうと思っていたけれども、じつは千年たってもまだ消化しきれないわけです。もう一つ新しい外來(lái)文化の流れがきますと、漢字というのが、ものをいうわけです。造語(yǔ)能カがあるのです。悲しいことに大和やまと 言葉は造語(yǔ)能力にひじょうに乏しいわけです。たとえば「労働者の集會(huì)」といえばパッと一言でわかるのが、大和言葉で言いますと「はたらきのつどい」とかいうことになって、なんか祝詞のりと みたいな感じになってしまう。なんか問(wèn)延といの びしてしまう。そこが困るのです。
私は?デオロギーとしては大和言葉派なので、物を買(mǎi)いに行ってもなるべく大和言葉を使うようにしています。たとえば電器屋さんに行って「足あぶりください」。皆さんおわかりにならないでしょう。その店員の人もポカーンとしています。それで私は、機(jī)に座って勉強(qiáng)するときに足の下に置く、足を溫めるとこそくおんきろの器械であると、こう言ったわけです。そうしたら、ああ、足溫器そくおんき ですか。これが漢字なのです。それがもっとモダンになりますと、なんとかヒーターとかカタカナになって、そうなるともっといいようです。
最近ダ?エーの社長(zhǎng)が、わが社は斷固だんこ カタカナ戦術(shù)でやる、すべてカタカナでやると言っています。カタカナでやると、なんとなくモダンに見(jiàn)えるわけです。
大阪の繊維問(wèn)屋せんいどんや はみんな個(gè)人商店でした。多田利ただとし 商やごう店とか。これは私の親戚の家の屋號(hào)やごう ですが。そうすると大學(xué)を出た人が來(lái)ないのです。ところが、ブービーとかハッピーとかいうカタカナの名前を付けるとウワーツと來(lái)る。カタカナの魅力というのはすごいものです。
コンビニ考
読みながら
1.スーパーと比べてコンビニにはどんな特徴があるか考えましょう。2.日本の現(xiàn)代の若者と自分たちを比較して相違點(diǎn)を明らかにしましょう。
速水 健次朗
都內(nèi)では5分歩けばコンビニが見(jiàn)つかると言っても過(guò)言ではないほどコンビニが至るところに存在する。店の名前こそ違うが売っているものは大體同じようなものだ。テレビのコマーシャルを見(jiàn)ると弁當(dāng)などで他の店に差をつけようとしているらしいが、基本的には食品、飲み物、身の回りの雑貨、雑誌に新聞、フ?ックスとコピーの機(jī)械というところか。
去年までは家族で日本で夏を過(guò)ごしたので、買(mǎi)物はスーパーでして、コンビニを利用することはなかった。今年は単身赴任なので、スーパーとコンビニの両方を利用している。今までは、スーパーに行けば何でもずっと安く手に入るのに、どうして大勢(shì)の人があんなに頻繁にコンビニを利用するのだろう、と不思議に思っていた。実際にコンビニで買(mǎi)物をして気がついたのは、獨(dú)身者向きに考えられた商品が多いことと、とにかく「コンビニエンス」の名の通り便利だ、ということだった。例えばサラダを例に取ってみると、まず量が尐ないのが多い。一人で一回に食べられるくらいの量になっている。また、酢や醤油などの調(diào)味料にしても量が尐なめのサ?ズになっている。弁當(dāng)にしても普通の一人前のがほとんどだが、食欲旺盛な若者用に大盛りのもある。
また、コンビニには日常生活で必要なものがほとんど揃っているので、とにかく便利だ。洗濯がおっくうで、しないでいて、明日は講演をする日だったと思いだして、洗濯した靴下、下著のシャツがないことに気がついて急いで飛んで行っても、ちゃんとコンビニに置いてある。突然雨が降りだし濡れると困るものを持っていてコンビニに避難、そこで傘を買(mǎi)って用をすませることができる。もちろん値段の點(diǎn)から言えばスーパーの方が格安だが、緊急避難的狀況の時(shí)にコンビニはまことに便利だ。
コンビニで一つ気になったのは、新聞コーナーにある新聞がほとんどスポーツ新聞か競(jìng)馬?競(jìng)輪の新聞で、読売?朝日?毎日のいわゆる三大紙や日本経済新聞などが置いてないことだ。コンビニの常連は若い獨(dú)身者だと思われるが、彼等は硬い新
聞は読まないのだろうか。いや、そうじゃあるまい。多分家で購(gòu)読しているからコンビニで買(mǎi)う必要がないのだろう。だから、需要がなく置いてないのだろう。では、雑誌コーナーでヘ?ヌード掲載の週刊誌や漫畫(huà)は豊富だが、週刊朝日や?エラなど真面目な雑誌がないのはどうしてだろうか。これも新聞同様、週刊誌を定期購(gòu)読している人が多いからだろうか。私にはそうは思えない。ということは、最近は雑誌はリラックスするためのもので、教養(yǎng)のため、後學(xué)のためというような考えが薄れてきたということだろうか。新聞では深く追及できないようなことが雑誌で詳しくカバーされていることがよくある。そういう雑誌が若い人から敬遠(yuǎn)されていてニーズがないからコンビニに並んでいないのだとしたら、いささか殘念な気がする。朝4時(shí)半頃ランニングをしていてコンビニの前を通ると、弁當(dāng)とジュースを買(mǎi)って出て來(lái)る若者に出會(huì)うことが度々ある。仕事帰りかカラオケ帰りか知らないが、これから?パートに戻って朝御飯なのだろう。24時(shí)間営業(yè)のコンビニは誠(chéng)に便利で現(xiàn)代人には欠かせないものになってきつつあるなあ、という感じがした。黃金週間
中山 堯
ゴールデンウ?ークの真っただ中ですね。海外旅行に出かけた人は過(guò)去最高の58萬(wàn)3千人とか。近場(chǎng)の行楽地でもホテル、旅館は今週いっぱい満室という話(huà)を聞くと、一體どこが不況なのだろうと考え込んでしまいます。
在宅ゴールデンウ?ーク派は、どんな過(guò)ごし方をされているのでしょうか。庭木や草花の手入れ? 読やビデオ、音楽鑑賞?(A)()、きっとそれだけでは1週間はもたないはずです。家族のだれかから「どこかに行きた一い」という聲が出てきたら、どうしますか? 私はこんな時(shí)、とりあえず車(chē)で家を出ることにしています。目的地はどこでもいいから溫泉の出るところ。
ご存じのように、最近では一部を除いてホテル?旅館も內(nèi)湯を一般に開(kāi)放しているところが多くなっいます。入湯料は高くて千円、安くて300円ぐらいまで。ほとんどに露天ぶろがあります。こうしたところを2,3軒ハシゴして半日を過(guò)ごし、ふ ところに余裕があったら、夕食をとって帰ります。高速料金を含めて夫婦2人で1萬(wàn)円以?xún)?nèi)におさめるのがコツと言えばコツですね。
(B)()渋滯は覚悟の上です。実は連休のノロノロ運(yùn)転に音をあげて、もう二度と行きたくないという聲が出るのを期待しているのですが、溫泉の気分の良さには勝てないらしく、(1)こうした過(guò)ごし方が休みの日の定番になっているほどです。溫泉天國(guó)?九州ならではの楽しみです。
(C)()、福岡方面で(2)一番の穴場(chǎng)は、高速料金もいらない二日市溫泉ですね。ここは公衆(zhòng)浴場(chǎng)と、ある旅館1軒でふろに入れます。ここだと老舗旅館の経営している日本料理店で食事して帰っても、2人で5千円ですみます。泉質(zhì)もよく、まさに(3)「燈臺(tái)もと暗し」という感じですね。
人によってたとえ小さくても、喜びと楽しみは様々。私が半面、黃金週間が嫌いなのは、みんなと同じような過(guò)ごし方をしないと、(4)なんだか取り殘されたような気分にさせる風(fēng)潮がつきまとう點(diǎn)ですね。
休みの日ぐらいは個(gè)性的に、悠々と過(guò)ごす時(shí)間を持ちたいものです
在宅動(dòng)務(wù)
日立、lBMが育児?介護(hù)中に認(rèn)める方針
日立製作所は17日、家庭で育児や介護(hù)にあたる必要のある総合職の社員全員を?qū)澫螭?、在宅勤?wù)を認(rèn)める方針を明らかにした。4月から実施する。IT(情報(bào)技術(shù))の進(jìn)展により、家庭にいながら?ンターネットを通じて仕事が出來(lái)るようになったためで、日本IBMも4月から同様の制度を副主任以上の杜員を?qū)澫螭藢g施することを決めている。在宅勤務(wù)へのニーズは高く、今後電子機(jī)器メーカーを中心に広がりそうだ。
日立は一昨年から主任以上の杜員を?qū)澫螭?、出社義務(wù)のないフレックス勤務(wù)を認(rèn)めていた。この制度で在宅勤務(wù)が可能になったが、役職の関係で30歳前後以上に限られていた。
このたあ優(yōu)秀な女性杜員が育児や介護(hù)の負(fù)擔(dān)により退杜を迫られるケースもあり、今向、総合職全員に対象を広げることにした。育児の場(chǎng)合は小學(xué)校に入るまで、介護(hù)は必要がなくなるまでの期間を認(rèn)める。このほか、全女性社員を?qū)澫螭送钙陂g、1日6時(shí)間の短時(shí)間勤務(wù)を認(rèn)める制度も新設(shè)する。
1BMは育児の場(chǎng)合、小學(xué)校卒業(yè)まで認(rèn)める。25~30歳の副主任以上に限っているが、今後、全社員への拡大を図る。同社は「在宅勤務(wù)は優(yōu)秀な人材を集めるのに必要になる。今回の制度は新たなビジネススタ?ルを杜會(huì)に提案する意味もある」と説明している。同社はこうした在宅勤務(wù)を可能にするITシステムを他社向けに販売することも検討している。第五課
リーデ?ング 1
人
形
読みながら
1.場(chǎng)面情景を豊かに思い描くことから出発して、異常な婦人への筆者の深い思いや りを 読み取りましょう。
2.細(xì)部の表現(xiàn)を手がかりに、人物の心理を考えましょう。
小林
秀雄
ある時(shí)、大阪行きの急行の食堂車(chē)で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で座っていたが、やがて、前の空席に、六十格好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。
細(xì)君の方は、小脇に何かを抱えて入って來(lái)て私の向かいの席に著いたのだが、袖の陰から現(xiàn)れたのは、橫抱きにされた、おやっと思うほど大きな人形であった。人形は、背広を著、ネクタ?を締め、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥(niǎo)打帽子をかぶっていた。著付けの方はまだ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落とし、これも薄汚くなった丸坊主を出した。
細(xì)君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が合うと、ちょっと會(huì)釈して、車(chē)窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失禮とでも言いたげなこなしであった。
もはや、明らかなことである。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判斷すれば、よほど以前のことである。一人息子は戦爭(zhēng)で死んだのであろうか。夫は妻の亂心を鎮(zhèn)めるために、彼女に人形をあてがったが、以來(lái)、二度と正気には返らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんなことか、と私は思った。夫は旅なれた様子で、ボー?に何かと注文していたが、今は、おだやかな顔でビールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き自分の口に入れる。それを繰り返している。私は、手元に引き寄せてい
たバター皿から、バターを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が付かない?!袱长欷峡挚s」と夫が代わりに禮を言った。
そこへ、大學(xué)生かと思われる娘さんが、私の隣に來(lái)て座った。表情や挙動(dòng)から、若い女性の持つ鋭敏を、私はすぐ感じたように思った。彼女は、一目で事を悟り、この不思議な會(huì)食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持ちまで見(jiàn)てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。
細(xì)君の食事は、二人分であるから、遅々として進(jìn)まない。やっとスープが終わったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかもしれない。身についてしまった習(xí)慣的行為かもしれない。とすれば、これまでになるのには、周?chē)欷螠\はかな好奇心とずいぶん戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。
異様な會(huì)食は、ごく當(dāng)たり前に、靜かに、あえて言えば、和やかに終わったのだが、もし、だれかが、人形について余計(jì)な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんなことを思った。
富 士
田宮
虎彥
私は死んだ母が最後に書(shū)いてよこした(1)手紙の言葉を、今もはっきり覚えている。それは、――今度のお前の下宿からは富士が見(jiàn)えるのだろうか、東京から富士が見(jiàn)えるということはお母さんもかねて聞いていたけれど、あの美しい富士の山を毎日見(jiàn)てすごすことができれば、どんなにお前の心もなごまることだろう。お母さんも一度は富士を見(jiàn)て死にたいと思っていたが、そのお母さんの思いがお前にかなえられたのだと思うと、お前のくれた手紙に富士見(jiàn)軒と書(shū)いてあるのをみつめているうちにお母さんは涙がこぼれてきたのだよ…といった言葉であった。
本郷の高臺(tái)に高くそびえたった図書(shū)館のその屋上からは、富士ばかりでなく、赤城や、榛名や、秩父の山々など、関東平野を遠(yuǎn)くとりまく山々が見(jiàn)えるのだったが、そうした山々の山脈をつらねた美しさも、冬の日差しをあびた富士の姿の美しさには及びもつかなかった。私はその美しい富士を見(jiàn)ながら、母の乳房の匂いともつれあうように、母に富士の山の美しさを教えられた幼いころのことを思い出した。そして、母の手紙を読んだ時(shí)と同じように目がしらがあつくなってゆくのを感じた。大學(xué)に出ない日は、私は真砂町の坂をのぼって、壱岐坂の上に出た。私は、そこで立ちどまって富士を見(jiàn)た。その富士は図書(shū)館から見(jiàn)る富士には及ばなかったが、やはり美しい姿であった。私はしばらく富士を見(jiàn)つめていたが、ふと気づくと私の立ちどまった町かどに、下宿か旅館らしい立派な二階建てがあった。何気なくその看板を見(jiàn)ると、その看板には富士見(jiàn)館という屋號(hào)がかかれてあった?!袱ⅳ?、この富士見(jiàn)館なら、たしかに當(dāng)士が見(jiàn)える」私は思わずそう獨(dú)りごとをつぶやいていた。(A)()、母が考えている私の下宿は、こんな下宿ではないかと、ふっと思った。(B)()、笑いが腹の底からこみ上げてきて、私は、道をとおる人が不思議そうに笑っている私を見(jiàn)つめるほど、聲をたてて笑った。(2)だが、笑っているうち、私の笑いは、私の頬に淋しく凍りついてしまった。
現(xiàn) 代 青 春 論
亀井
勝 一郎
どんな蕓術(shù)でも、ある程度の予備知識(shí)や説明は必要だ。しかしそれに満足してはならない。自分で直接読んだり、見(jiàn)たりして、対象にひきずりまわされることが大切である。たとえば夏目漱石の小説なら、今日では定評(píng)があるが、自分で、実際に読むと、定評(píng)どおりにゆかない場(chǎng)合がある。みんながほめていても、つまらないと思うこともあるし、また自分が感動(dòng)しても、それを適當(dāng)に言いあらわすことが出來(lái)ない場(chǎng)合もある。そういうとき、自分には文學(xué)はわからないと決めてしまう人がある。ある音楽を聞いて、大変すばらしいと思っても、なぜすばらしいのか説明出來(lái)ないとき、自分には音楽がわからないと思いこんでしまう。しかしこれはまちがいだ。どんな人間でも、心に深い感動(dòng)をうけたときは、それを適當(dāng)に言葉として表現(xiàn)出來(lái)ないものである。すべて一流の美は、そういう性質(zhì)をもっていて、私たちに沈黙を迫る。美への愛(ài)とは、この沈黙への愛(ài)だとさえいってもよい。だから本當(dāng)の理 11
解とは、口に出してうまく言えるかどうかということだけではない。説明が上手だからといって、理解しているとはかぎらない。心の底ふかくおさめておいて、つまりは沈黙のうちに、うなずく場(chǎng)合だってある。そしてこの沈黙の肯定が一番深いのではないか。すぐれた作品はこれによって支持されてきているのである。批評(píng)家とは何よりもまず、この沈黙の代弁者でなければならない。そしてそれに適當(dāng)な表現(xiàn)を與えることで、読者の心を代弁するものでなければならない。こうした意味での「批評(píng)家」はだれの心の中にも住んでいるはずだ。
第二篇:新大學(xué)日語(yǔ)第八課
第8課
晩秋の中國(guó)で
本文
私が自分の生まれた中國(guó)を妻に見(jiàn)せたいと最初に思い立ったのは、いつのことだったろう。解放後の中國(guó)を初めて訪(fǎng)ねたのは1984年だったから、その時(shí)からだとすると、あれからもう8年の歳月が流れたことになる。92年11月中旬、小雨に煙る滑走路に黃色いプラタナスの葉が舞う北京空港に著いたときの感慨は格別であった。振り向けばそこに、初めて同行した妻が中國(guó)の大地を踏んで立っていた。
その國(guó)の人の心を知るには、その國(guó)の言葉を使い、その國(guó)の人たちと同じものを食べるのが早い。私たちは、北京と西安を訪(fǎng)ねたこの旅ではホテルや高級(jí)レストランでの食事をできるかぎり少なくして、屋臺(tái)や小さな食堂へ出かけた。
両者を比べると、値段はサイン一つで済むホテルの方が上等だが、味は、ウエストを絞った派手なチーパオ(チェーなドレス)の女性はいなくとも、粗末な腰掛けで食べた屋臺(tái)の方が例外無(wú)しに上等だった。私たちは両替を面倒がらずに度々外出し、ホテルの食事をわざと無(wú)視した。
シルクロードの出発點(diǎn)の西安では、回族の屋臺(tái)にも首を突っ込んだ。丼に硬いパンをちぎって入れ、とろみをつけたごった煮をかけた朝食だ。心持ち塩辛かったものの、ほどよく効いたこしょうの味が、はるかなる西域の空へ誘うが如く臓腑に染みた。
日本では「名物にうまいもの無(wú)し」と言う。著名な宮廷料理から屋臺(tái)の食事までを味わった経験に基づく感想として、私は生意気のようだが、「屋臺(tái)には高級(jí)レストラン以上の味がある」という結(jié)論を得た。
その昔、唐の詩(shī)人は「西のかた陽(yáng)関を出づれば故人無(wú)からん」と歌って、別れの酒を更に一杯友に勧めた。妻を案內(nèi)して通訳のいない旅に出発した時(shí)の私の気持ちも、安西へ向かう元二の心細(xì)さに似ていたかもしれない。だが、私たちは西安で初対面の友人の笑顔に溫かく迎えられ、伝統(tǒng)ある餃子館で乾杯のコップを空けた。そしてこの出會(huì)いは、中國(guó)における日本語(yǔ)教育に取り組むまでに発展した。
一方、北京では4年前に取材した老人を漢方薬店に訪(fǎng)ねたが、そこに座っていたのは見(jiàn)知らぬ人だった。私が再び會(huì)いたいと待ち望んでいた人は、退職してすでに遠(yuǎn)い地へ行ってしまったという。私は、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」と記した紙切れを応対してくれた少女に渡し、後ろ髪を引かれる思いで立ち去るほかなかった。
會(huì)えた人、會(huì)えなかった人へのさまざまな思いを旅情に彩られた悠久の大地に殘して、私たちは帰國(guó)の途に就いた。もしも旅行社が主催した団體旅行だったら、名所を見(jiàn)るだけで、こんな意義深い旅はできなかっただろう。それもこれも、自由な個(gè)人旅行のおかげであった。
子供の頃、この國(guó)の人たちと日本人のゆがんだ関係を目のあたりにした私にとって、中國(guó)訪(fǎng)問(wèn)は懐舊の念を満たすだけの旅ではなく、不幸な歴史を未來(lái)への戒めに結(jié)びつける機(jī)會(huì)でなくてはならない。妻が、この國(guó)の人々と同じものを食べた経験を通してすっかり中國(guó)びいきになってしまったのは、私の望外の収穫であった。中國(guó)を正しく理解する日本人が一人増えたのである。チャレンジ
1國(guó)を擔(dān)う若者
名古屋発西安行きの飛行機(jī)は夜、西安國(guó)際空港に著く。(A)()びっくりしたのは高速道路が(a)()され、ほんの30分程度で市內(nèi)に入ったことだ。以前は小一時(shí)間かかっていた。また市內(nèi)に入るととても明るい。以前は薄暗くて何があるかわからない狀態(tài)であった。
朝起きてホテルの階上から見(jiàn)ると、たくさんのビルが林立している。それも20階建て、30階建てのビルである。こんなに大きく発展するとは思わなかった。ここ數(shù)年の間に西安は大きく変貌している。
以前は夜7時(shí)過(guò)ぎになると辺りは暗くなった東大街も今はかなり遅くまでネオンが輝き、明るい。人波もある。若者が闊歩している。若者の服裝も垢抜けしている。実に軽快である。(1)何かすごい力がうごめいているように思える。
建造物の大きな変化と若者の希望にあふれた行き來(lái)がこの西安を象徴している。(B)()中國(guó)は21世紀(jì)を擔(dān)う大國(guó)に発展するだろう。いま、中國(guó)は國(guó)を挙げて経済発展に努力している。交通網(wǎng)は鉄道、高速道路、(C)()航空路線(xiàn)の(b)()、発電所の建設(shè)と電力の(c)()、21世紀(jì)を擔(dān)う人材育成を期する教育改革など、音を立てて大きく変貌を遂げようとしている。実に力強(qiáng)さを感じる。
現(xiàn)代の若者が希望を持って學(xué)習(xí)、勉學(xué)に勵(lì)み、多くの國(guó)々へ進(jìn)出している。多くの國(guó)々でその國(guó)の若者と交わりを豊かにしている。この豊かな人間関係が、21世紀(jì)の中國(guó)を大きく突き動(dòng)かしていくだろう。
若者が未來(lái)を象徴しているように、中國(guó)もまだ若く、21世紀(jì)の輝ける世界の象徴なのである。
チャレンジ
2「楓橋夜泊」の寒山寺
蘇州で観光地と言えば、やはり寒山寺が一番有名だ。蘇州市の西5キロの楓橋鎮(zhèn)にあり、江南運(yùn)河がそのそばを流れる。寒山寺は南朝.梁の天監(jiān)年間(502~519)に建立され、すでに1500年に近い歴史がある。境內(nèi)はさほど広くなく、寺の建築様式も素樸で飾り気がない。
唐.宋の時(shí)代、蘇州一帯の寺には、一夜を前半と後半に分ける夜半に「定夜鐘」と呼ばれる鐘を鳴らすしきたりがあった。寒山寺の中にも青銅の鐘があり、あたりに朗々たる響きを響かせていた。千古の絶唱と言われる張継の詩(shī)は、これから生まれた。
張継は、博學(xué)多識(shí)の人で、その詩(shī)には自然で美しいものが多く、とりわけ七言絶句に秀でていた。ある日船に乗って蘇州を通り、寒山寺近くの楓橋のたもとで船泊まりした。時(shí)あたかも晩秋、そこはかとない孤愁の思いに駆られてつづったのが、あの「楓橋夜泊」だった。
月落
烏啼きて
霜天に満つ
江風(fēng)の漁火
愁眠に対す
姑蘇城外
寒山寺
夜半の鐘聲
客船に到る
秋の夜の寒山寺の情景を印象的に描きながら、ひとり悩む旅人の寂しさを歌ったこの詩(shī)は、古くから今日に至るまで、中國(guó)から日本に、さらに東南アジアや歐米にまで伝わり、寒山寺の名を內(nèi)外に知らせた。
寒山寺には雄大なものとか豪華なものはなく、蘇州の山河や人と同様、淡白で優(yōu)雅な雰囲気の中に清新さを漂わせている。張継の詩(shī)、美しい伝説、神秘の銅鐘、すぐれた碑刻などが、寒山寺の名をいやが上にも高めている。
第三篇:日語(yǔ)單詞 新大學(xué)日語(yǔ)簡(jiǎn)明教程
1.やおや「八百屋」(名)蔬菜店 ;蔬菜水果店;蔬菜商
2.つとめる「勤める」(自一)工作,服務(wù) 3.クラス【class】(名)班,班級(jí);階級(jí),等級(jí) 4.さしみ「刺身」(名)生魚(yú)片
5.たたみ「畳」(名)(厚的)草墊,草席,榻榻米 6.や さい「野菜」(名)蔬菜,青菜 7.や きゅう「野球」(名)棒球
8.ゆう びん きょく「郵便局」(名)郵局 9.けい たい「攜帯」(名)手機(jī);(他サ)攜帶 10.じょう ぶ「丈夫」(形動(dòng))健康;堅(jiān)固,結(jié)實(shí) 11.タクシー[taxi](名)的士,出租車(chē) 12.と しょ かん「図書(shū)館」(名)圖書(shū)館13.せん せい「先生」(名)先生;老師 14.がく せい「學(xué)生」(名)學(xué)生 15.ちゅう ごく「中國(guó)」(名)中國(guó) 16.なまえ「名前」(名)名字,姓名 17.くに「國(guó)」(名)國(guó)家;故鄉(xiāng) 18.ペキン「北京」(名)北京 19.しゅ と「首都」(名)首都 20.へや「部屋」(名)房間 21.テレビ「television」電視;電視機(jī) 22.か ぞく「家族」(名)家族;家眷 23.しゃ しん「寫(xiě)真」(名)相片
24.かい しゃ いん「會(huì)社員」(名)公司職員 25.すう がく「數(shù)學(xué)」(名)數(shù)學(xué) 26.だいどころ「臺(tái)所」(名)廚房 27.じ こ「自己」(名)自己,自我 28.しょう かい「紹介」(名.他サ)介紹 29.だい がく「大學(xué)」(名)大學(xué)
30.おきる「起きる」(自一)起床,起來(lái);發(fā)生 31.あさごはん「朝ご飯」(名)早飯 32.たべる「食べる」(他一)吃
33.じゅ ぎょう「授業(yè)」(名.自サ)課,授課 34.べん きょう「勉強(qiáng)」(名.自他サ)學(xué)習(xí)35.かえる「帰る」(自五)回家 36.しん ぶん「新聞」(名)報(bào)紙 37.よむ「読む」(他五)讀,朗讀,閱讀 38.そつ ぎょう「卒業(yè)」(名.自サ)畢業(yè) 39.か じ「家事」(名)家務(wù)(勞動(dòng))40.おおさか「大阪」(名)大阪
41.ぼう えき「貿(mào)易」(名)貿(mào)易 42.はたらく「働く」(自五)勞動(dòng),工作 43.やすむ「休む」(自五)休息 44.かいもの「買(mǎi)い物」(名)買(mǎi)東西 45.こく ど「國(guó)土」(名)國(guó)土 46.し げん「資源」(名)資源 47.ほう ふ「豊富」(名.形動(dòng))豐富 48.れき し「歴史」(名)歷史 49.ながい「長(zhǎng)い」(形)長(zhǎng)
50.し ぜん「自然」(名.形動(dòng))自然 51.うつくしい「美しい」(形)美麗,漂亮 52.びん ぼう「貧乏」(名.形動(dòng))貧窮 53.しあわせ「幸せ」(形動(dòng))幸福 54.とく い「得意」(名.形動(dòng))得意;拿手 55.せ かい 「世界」(名)世界
56.ゆう めい「有名」(名.形動(dòng))有名,著名 57.にん き「人気」(名)名氣,聲望 58.さかな「魚(yú)」(名)魚(yú)
59.ちがう「違う」(自五)不同;錯(cuò)誤 60.こう りゅう「交流」(名.自サ)交流 61.さかん「盛ん」(形動(dòng))興旺,蓬勃 62.じょうず「上手」(形動(dòng))好,高明 63.へた「下手」(形動(dòng))拙劣,笨拙 64.しごと「仕事」(名)工作 65.せい かつ「生活」(名)生活 66.おわる「終わる」(自他五)完,結(jié)束 67.べん とう「弁當(dāng)」(名)盒飯
68.ひるやすみ「晝休み」(名)午間休息,午休 69.のる「乗る」(自五)乘,坐 70.ビール「(荷)bier」(名)啤酒 71.のむ「飲む」(他五)喝 72.みる「見(jiàn)る」(他一)看,觀看 73.おもしろい「面白い」(形)有趣 74.ざっ し「雑誌」(名)雜志 75.かぜ「風(fēng)邪」(名)傷風(fēng),感冒
76.かぜをひく「風(fēng)邪を引く」(組)患感冒 77.ともだち「友達(dá)」(名)朋友 78.みまう「見(jiàn)舞う」(他五)探望 79.しゅ み「趣味」(名)愛(ài)好;情趣 80.てん き「天気」(名)天氣,晴天 81.かう「買(mǎi)う」(他五)買(mǎi)
第四篇:大學(xué)日語(yǔ)教學(xué)大綱
大學(xué)日語(yǔ)教學(xué)大綱
大學(xué)日語(yǔ)是指高等院校開(kāi)設(shè)的非日語(yǔ)專(zhuān)業(yè)的日語(yǔ)教學(xué)。據(jù)中國(guó)日語(yǔ)教學(xué)研究會(huì)和日本國(guó)際交流基金統(tǒng)計(jì),我國(guó)有近1100所學(xué)校開(kāi)設(shè)日語(yǔ)課,學(xué)習(xí)人數(shù)近25萬(wàn)。其中大多數(shù)應(yīng)該說(shuō)是大學(xué)日語(yǔ)。大學(xué)日語(yǔ)教學(xué)大綱
(第二版)
1. 教學(xué)對(duì)象
本大綱的教學(xué)對(duì)象是高等學(xué)校非日語(yǔ)專(zhuān)業(yè)的本科生。入學(xué)時(shí),他們應(yīng)已掌握基本語(yǔ)音、語(yǔ)法知識(shí)、領(lǐng)會(huì)式掌握單詞約1800個(gè)(其中復(fù)用式掌握約1200個(gè)),并在聽(tīng)、寫(xiě)、讀、說(shuō)等方面受過(guò)初步的訓(xùn)練。對(duì)高于或低于上述水平的學(xué)生,可參照本大綱“教學(xué)安排”中有關(guān)部分執(zhí)行。
2. 教學(xué)目的大學(xué)日語(yǔ)的教學(xué)目的是,培養(yǎng)學(xué)生具有較強(qiáng)的閱讀能力、一定的譯和聽(tīng)的能力、初步的寫(xiě)和說(shuō)的能力,使學(xué)生能以日語(yǔ)為工具,獲取專(zhuān)業(yè)所需要的信息,并為全面提高日語(yǔ)運(yùn)用能力打下較好的基礎(chǔ)。
3. 教學(xué)要求
大學(xué)日語(yǔ)教學(xué)分為基礎(chǔ)階段和閱讀階段。教學(xué)要求分別為:
3.1基礎(chǔ)階段
基礎(chǔ)階段教學(xué)分為六級(jí),稱(chēng)為大學(xué)日語(yǔ)一級(jí)至六級(jí)。根據(jù)學(xué)生入學(xué)水平的不同,基礎(chǔ)階段的教學(xué)要求分為基本要求和較高要求兩種。達(dá)到四級(jí)為基本要求,達(dá)到六級(jí)為較高要求。
3.1.1基本要求
3.1.1.1語(yǔ)音
朗讀時(shí)語(yǔ)音、語(yǔ)調(diào)基本正確。
3.1.1.2詞匯
領(lǐng)會(huì)式掌握單詞約5000個(gè)(其中復(fù)用式掌握約3000個(gè)),并舉用按照基本結(jié)構(gòu)詞法識(shí)別詞的能力。
3.1.1.3語(yǔ)法
掌握基本語(yǔ)法知識(shí),理解常見(jiàn)語(yǔ)法現(xiàn)象,并具有在語(yǔ)篇水平上運(yùn)用語(yǔ)法知識(shí)的能力。
3.1.1.4閱讀能力
掌握基本閱讀技能,能順利閱讀并正確理解一般題材、中等語(yǔ)言難度的文章,速度達(dá)每分鐘90-100字(指漢字與假名自然混合的日文印刷字?jǐn)?shù),以下各項(xiàng)同)。在閱讀難度較低、生詞不超過(guò)總詞數(shù)2%的材料時(shí),速度達(dá)每分鐘120-140字,閱讀理解的準(zhǔn)確率不低于70%。
3.1.1.5聽(tīng)的能力
能聽(tīng)懂日語(yǔ)講課,對(duì)題材熟悉、淺于課文、基本無(wú)生詞、語(yǔ)速為每分鐘180-200字的聽(tīng)力材料,一遍可以聽(tīng)懂,理解的準(zhǔn)確率不低于70%。
3.1.1.6寫(xiě)的能力
能按規(guī)定的題目和提示,在半小時(shí)內(nèi)寫(xiě)出300-350字的短文,內(nèi)容連貫,問(wèn)題統(tǒng)一,無(wú)重大語(yǔ)法錯(cuò)誤,詞語(yǔ)錯(cuò)誤(含使用、表記等方面)較少,表意基本清楚。
3.1.1.7說(shuō)的能力
能進(jìn)行簡(jiǎn)單的日常會(huì)話(huà),能就教材內(nèi)容進(jìn)行問(wèn)答和復(fù)述。
3.1.1.8翻譯能力
能借助工具書(shū)將與課文難度相仿的文章譯成漢語(yǔ),理解正確,譯文達(dá)意,筆譯速度達(dá)到每小時(shí)700-800字。
3.1.2較高要求
3.1.2.1語(yǔ)音
語(yǔ)音、語(yǔ)調(diào)正確,說(shuō)話(huà)比較自然。
3.1.2.2詞匯 >
領(lǐng)會(huì)式掌握單詞約6800-7000個(gè)(其中復(fù)用式掌握約3800個(gè)),并掌握一定數(shù)量的常用固定詞組。
3.1.2.3閱讀能力
掌握較高的閱讀技能,能順利閱讀并理解一定的題材、語(yǔ)言難度較高的文章,速度達(dá)到每分鐘120字。在閱讀難度略低、生詞不超過(guò)總詞數(shù)4%的材料時(shí),速度達(dá)到每分鐘160字,閱讀理解的準(zhǔn)確率不低于70%。
3.1.2.4聽(tīng)的能力
對(duì)題材熟悉、句子不太復(fù)雜、基本上無(wú)生詞、語(yǔ)速每分鐘為250字的語(yǔ)言材料,一遍可以聽(tīng)懂,理解的準(zhǔn)確率不低于70%。
3.1.2.5寫(xiě)的能力
能在半小時(shí)內(nèi)寫(xiě)出300-350字的短文,包括文章摘要、書(shū)信等。內(nèi)容連貫,層次分明,段落適當(dāng),文理通順。
3.1.2.6說(shuō)的能力
經(jīng)過(guò)準(zhǔn)備,能就課文內(nèi)容或某一問(wèn)題進(jìn)行簡(jiǎn)短的發(fā)言,基本上能表達(dá)思想。
3.1.2.7翻譯能力
能借助工具書(shū)將與課文難度相仿的文章譯成漢語(yǔ),理解正確,譯文達(dá)意,筆意速度達(dá)到每小時(shí)1000-1100字。
3.2專(zhuān)業(yè)閱讀階段
能順利閱讀并能正確理解有關(guān)專(zhuān)業(yè)的書(shū)籍和文章。閱讀速度達(dá)到每分鐘100字,閱讀理解的準(zhǔn)確率不低于70%,閱讀總量不少于550000字。通過(guò)閱讀,掌握一定數(shù)量的有關(guān)專(zhuān)業(yè)的專(zhuān)業(yè)基礎(chǔ)詞匯和專(zhuān)業(yè)詞匯。
(省略)
6.測(cè)試
6.1語(yǔ)言測(cè)試應(yīng)著重考核學(xué)生的語(yǔ)言基礎(chǔ)知識(shí)和運(yùn)用能力,要做到科學(xué)、客觀、統(tǒng)一和標(biāo)準(zhǔn)化。
6.2基礎(chǔ)階段各級(jí)教學(xué)結(jié)束時(shí)均應(yīng)安排考試
其中四、六兩級(jí)結(jié)束時(shí),應(yīng)組織學(xué)生參加根據(jù)本大綱的要求舉行的地區(qū)性或全國(guó)性的統(tǒng)一考試。記分冊(cè)上登記學(xué)生成績(jī)時(shí),要同時(shí)注明該生所達(dá)到的日語(yǔ)等級(jí)。
6.3專(zhuān)業(yè)閱讀階段結(jié)束時(shí),各校有關(guān)的系或?qū)W科應(yīng)安排專(zhuān)業(yè)閱讀能力的考試,并記分入冊(cè)。
6.4選修課也應(yīng)進(jìn)行考核并記分入冊(cè)。
第五篇:二外日語(yǔ)學(xué)習(xí)心得
§更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)方法請(qǐng)加早道官方微信:早道日語(yǔ)§
二外日語(yǔ)學(xué)習(xí)心得
發(fā)表時(shí)間:2007-9-21 11:50:10
信息來(lái)源:日語(yǔ)論壇
點(diǎn)擊:3982
日語(yǔ)學(xué)習(xí)心得
南京師范大學(xué) 范曉燕
學(xué)習(xí)日語(yǔ),對(duì)中國(guó)人來(lái)講,其實(shí)是有優(yōu)勢(shì)的,且不說(shuō)它里面有很多漢字,就說(shuō)它的發(fā)音,好多都跟漢語(yǔ)也很像。這也是當(dāng)時(shí)我選擇它為二外的一個(gè)重要原因吧?,F(xiàn)在一年學(xué)下來(lái),由原來(lái)的一個(gè)門(mén)外漢,到現(xiàn)在的菜鳥(niǎo)級(jí),應(yīng)該說(shuō)這其中還是有點(diǎn)滴感受的吧。
一、日語(yǔ)與漢語(yǔ)的比較
從語(yǔ)言學(xué)上來(lái)講,日語(yǔ)和漢語(yǔ)都應(yīng)該屬于漢藏語(yǔ)系的,好多日語(yǔ)單詞就是從漢語(yǔ)里來(lái)的,被語(yǔ)言學(xué)家稱(chēng)為sino-Japanese.兩者應(yīng)該有著很大的相似之處。日語(yǔ)中平假名和片假名甚至就是以漢字為基礎(chǔ)創(chuàng)造的表音文字。如“ぁ”來(lái)自漢字的“安”的草體。
但我覺(jué)得,事實(shí)上,要學(xué)好日語(yǔ)并不是一件容易的事,因?yàn)樯厦嫠龆际且恍┍韺拥臇|西。從深層次上來(lái)講,兩者有很大的不同之處。
我們學(xué)習(xí)語(yǔ)言的人都知道,grammar是一個(gè)語(yǔ)言的骨架,它從一定程度上決定著一個(gè)語(yǔ)言,但我們認(rèn)為很相似的日漢語(yǔ)的文法根本不一樣。最明顯的一點(diǎn)就是日語(yǔ)的謂語(yǔ)動(dòng)詞往往放在句末,這是最特別的一點(diǎn)。比如說(shuō)“我去學(xué)校”,在日語(yǔ)里面說(shuō)成わたしは學(xué)校へ行きます,把“去”這個(gè)動(dòng)詞放在最后。其次,日語(yǔ)是以其格助詞為關(guān)鍵的,如“に”、“を”等,每一個(gè)就有很多種用法。拿“を”來(lái)說(shuō)吧,它就有表示對(duì)象的用法,如本をよむ;還有表示起點(diǎn)的,如家を出る;還有表示在某一范圍內(nèi)移動(dòng)的,如海を泳ぐ。而“に”的用法就更復(fù)雜了,這里就不贅述了。而漢語(yǔ)里則簡(jiǎn)單得多,沒(méi)有這么多的格助詞。
另外,日語(yǔ)里有許多時(shí)態(tài),而這些時(shí)態(tài)是通過(guò)詞形變化表現(xiàn)出來(lái)的,如て形,た形等等。但漢語(yǔ)里則沒(méi)有這么多詞形變化,只是通過(guò)加上一些如“了”、“曾”、“過(guò)”等副詞來(lái)表示。同時(shí),我要說(shuō)的是,日語(yǔ)中的這些形相當(dāng)難記,而且很容易忘。但是如果掌握了規(guī)律,就很容易記了,而且可以舉一反三。比如掌握了一個(gè)動(dòng)詞的て形,那它的其它形就可以迎刃而“記”了。比如待つ的て形為待って,由此可以推斷出它的た形,就是待った。這是動(dòng)1的詞的用法,而動(dòng)2的詞就更加相似了,直接把最后的一個(gè)假名去掉加上一個(gè)て或一個(gè)た就可以了。而其它的形也可以采用類(lèi)似的方法來(lái)記憶。
當(dāng)然,僅僅掌握了這些詞形變化是遠(yuǎn)遠(yuǎn)不夠的,必須把它們應(yīng)用于一些句型當(dāng)中。僅以て形為例,它就有很多與之有關(guān)的用法或句型。如てくたさぃ表示禮貌地請(qǐng)求;てぃる有表達(dá)兩個(gè)含§更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)資料請(qǐng)加早道官方資料群: 191700390§ §更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)方法請(qǐng)加早道官方微信:早道日語(yǔ)§
義,一方面表示動(dòng)作的進(jìn)行,還有一種就表示狀態(tài)的持續(xù);てもぃぃです表示可以干某事了。
日語(yǔ)中有如此多的詞形變化,而漢語(yǔ)中很少,那為什么一些西方人會(huì)覺(jué)得漢語(yǔ)比日語(yǔ)更難學(xué)呢?讓我們來(lái)看看日語(yǔ)和英語(yǔ)的比較吧。
二、日語(yǔ)和英語(yǔ)的比較
我認(rèn)為,和漢語(yǔ)相比,日語(yǔ)和英語(yǔ)的相似處更多,它們都屬于形合的語(yǔ)種,注重形式;而漢語(yǔ)則屬于意合,西方人對(duì)此很難理解。而且日語(yǔ)和英語(yǔ)都有很多相對(duì)應(yīng)復(fù)雜的句型,時(shí)態(tài),及與之相關(guān)的詞型變化比如與て形相對(duì)應(yīng)的英語(yǔ)時(shí)態(tài)就是現(xiàn)在時(shí)-ing形式,與た形相對(duì)應(yīng)的則為過(guò)去時(shí)-ed形式,與なぃ形相對(duì)應(yīng)的則是英語(yǔ)中的否定。而且,現(xiàn)在隨著世界聯(lián)系越來(lái)越緊密,日語(yǔ)中外來(lái)語(yǔ)增加的速度更是快得驚人,好多詞匯都摒棄了原來(lái)的和語(yǔ)或漢語(yǔ)讀法,采用了英語(yǔ)的發(fā)音,叫人背不勝背,這通常都要用片假名來(lái)表示。因此,好多日語(yǔ)詞都可以用英語(yǔ)來(lái)發(fā)音,日本人不但不會(huì)嘲笑,反而認(rèn)為你才是up to date。這樣一來(lái),西方人當(dāng)然覺(jué)得日語(yǔ)更好學(xué)了。什么東西說(shuō)不出來(lái),仍然可以用英語(yǔ)來(lái)表示。但是,由于這些外來(lái)語(yǔ)都是用日本的語(yǔ)音發(fā)音,因此跟英語(yǔ)單詞有很大的出入,以至于我們讀多了之后,許多英語(yǔ)單詞都不會(huì)讀了,比如我經(jīng)常會(huì)把supermarket讀成ス-パ-·マ-ケット。這也就難怪日本人讀英語(yǔ)的時(shí)候感覺(jué)怪怪的。
當(dāng)然,說(shuō)兩者相似,是基于和漢語(yǔ)比較的基礎(chǔ)上的。雖然兩者相似處很多,但是,總的來(lái)說(shuō),Culture determines language.不同的文化背景下所產(chǎn)生的語(yǔ)言肯定是有根本區(qū)別的,而語(yǔ)言正好可以反映出文化的不同。日本人宣揚(yáng)的是一種“忍”的精神,以致整個(gè)民族都很內(nèi)斂,表現(xiàn)得很謙恭,好像什么都唯唯諾諾,而歐洲人則不同,他們以自我為中心,應(yīng)該是屬于個(gè)人主義的那一類(lèi)。表現(xiàn)在語(yǔ)言上很容易就看出來(lái)。日本人在說(shuō)話(huà)的時(shí)候有時(shí)連ゎたし都可以省掉,而英語(yǔ)里面為了強(qiáng)調(diào)自己的意愿,經(jīng)常說(shuō)一些主觀意愿的詞,比如I think, In my opinion, I’d like to say ,你看,幾乎每個(gè)里面都有“我”。
三、口語(yǔ)和聽(tīng)力
口語(yǔ),這是一個(gè)很重要的方面,因?yàn)檎Z(yǔ)言最重要的一個(gè)功能就是communication,而交際最重要的就是要去說(shuō)。如果學(xué)一門(mén)語(yǔ)言,但是口語(yǔ)不能掌握的話(huà),等于只學(xué)了一半,這對(duì)日語(yǔ)來(lái)說(shuō)尤為如此,因?yàn)槿照Z(yǔ)的口語(yǔ)和我們學(xué)的書(shū)面語(yǔ)很不一樣。我們看日劇的時(shí)候會(huì)發(fā)現(xiàn)日本人經(jīng)常只用動(dòng)詞的普通體,而不用敬體。還有一點(diǎn)很重要的,就是日語(yǔ)分男性用語(yǔ)和女性用語(yǔ)以及一些所謂的謙遜語(yǔ),其實(shí)要說(shuō)到謙虛,中國(guó)人應(yīng)該是很擅長(zhǎng)的,但是日本人的謙虛連我們中國(guó)人都受不了。比如說(shuō)すみません,它是在日本使用頻率很高的一個(gè)詞,常常有一種深層次的含義,我想這是我們這些菜鳥(niǎo)所不能理解的,好像不管什么場(chǎng)合都可以用。
而與口語(yǔ)聯(lián)系密切的聽(tīng)力也是讓我們頭疼的地方,在聽(tīng)同學(xué)做speech或者聽(tīng)磁帶的時(shí)候,聽(tīng)到某個(gè)單詞很熟,但就是不知道是什么意思,一個(gè)單詞要反應(yīng)好長(zhǎng)時(shí)間才知道是什么,有的時(shí)候甚至要寫(xiě)下來(lái)才知道。但這樣一來(lái),下面的內(nèi)容就聽(tīng)不到了。另一點(diǎn)就是日語(yǔ)中有很多同音但不同義的詞。如ひく這個(gè)音,我們現(xiàn)在學(xué)到的就有三種意思,一個(gè)是彈鋼琴的彈(彈く),一個(gè)是得感冒的得(ひく),還有一個(gè)是查辭典的查(引く)。這樣一來(lái),聽(tīng)的時(shí)候覺(jué)得更困難了?!旄嗳照Z(yǔ)學(xué)習(xí)資料請(qǐng)加早道官方資料群: 191700390§ §更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)方法請(qǐng)加早道官方微信:早道日語(yǔ)§
我想這也多多少少和我們平時(shí)聽(tīng)得少有很大關(guān)系吧。但是,以后不管是考級(jí)還是考研,聽(tīng)力都是很重要的,所以今后一定要加強(qiáng)這方面的訓(xùn)練。
三、部分日語(yǔ)句型和英語(yǔ)漢語(yǔ)的對(duì)比
1、て形
日語(yǔ)
漢語(yǔ)
英語(yǔ)
てぃます
正在做某事
Be doing something
てもぃぃです
可以做??
You can do something
てはぃけんません
不能做??
You mustn’t do something
てくださぃ
請(qǐng)您做??
Would you please do something
??て,??
干完??之后緊接著就??
After doing sth, sb do sth
2、た形
日語(yǔ)
漢語(yǔ)
英語(yǔ)
§更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)資料請(qǐng)加早道官方資料群: 191700390§ §更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)方法請(qǐng)加早道官方微信:早道日語(yǔ)§
たことがあります
做過(guò)某事
Somebody did something.たほうがいいです
最好做某事
You’d better do something.たあとで,??
做完某事后再做
Do something after doing something.たり??たりします
一邊??,一邊??
Doing and doing
3、未然形
日語(yǔ)
漢語(yǔ)
英語(yǔ)
(よ)うと思います
打算做某事
Be going to do something
しなぃ
不做某事
Don’t do something
4、其它
日語(yǔ)
漢語(yǔ)
英語(yǔ)
と思います
§更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)資料請(qǐng)加早道官方資料群: 191700390§ §更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)方法請(qǐng)加早道官方微信:早道日語(yǔ)§
我認(rèn)為
I think
は~より?です
?比?更
~ is more than~
になります
變得??,越來(lái)越??
More and more?
綜上所述,日語(yǔ)和漢語(yǔ)、英語(yǔ)是有很多共性的,同時(shí)它也有很多特性。我們所要做的就是經(jīng)常對(duì)這三者進(jìn)行比較,比較之后才會(huì)有進(jìn)步嘛。
上一條:標(biāo)日初級(jí)上句型總結(jié)
§更多日語(yǔ)學(xué)習(xí)資料請(qǐng)加早道官方資料群: 191700390§